「もてない男」をつくり出す社会構造

毎日は、毎日としてあわただしく過ぎていき、それなりに驚くことも、怒ることも、おかしいこともあるのだけれど、それを結局、「いろいろ」などとごまかしながらやり過ごしている。
週末のどこかで夫と喧嘩をした。でも、金曜日の夜だったのか、土曜日の夜だったのか、わからなくなってしまった。原因は、「もてない男」は、個人が悪いのか、社会が悪いのか、ということ。いったい誰の代わりに喧嘩しているのか、実のところよくわからない。ふたりの関係でいえば、「もてる」も「もてない」もどうでもいいことのはずだけど、久々にヒートアップした。
夫婦の喧嘩としてはバカバカしかったけれど、題材としては検討の余地がありそう、ということでもう少し考えてみる。